「ソフィーの選択」  1982年  アメリカ

監督;アラン・J・パクラ
出演;メリル・ストリープ,ケヴィン・クライン,ピーター・マクニコル
2008年1月2日  テレビ放映録画  自宅ごろ寝シアター

dvd 1947年、作家の卵スティンゴがブルックリンのアパートへ越してきた。隣には、ポーランド人ソフィーと、ユダヤ人ネイサンのカップルが住んでいた。しだいにソフィーに惹かれていくスティンゴだったが、彼女は重い過去を背負っていた。原作はウィリアム・スタイロン(現在絶版)。日本版DVDも出ていない。
原作が良いのだろうな(読んでないけど)。現代の三人の恋愛友情関係が、危うさを孕みつつも、色鮮やかに軽やかに展開される一方、しだいにソフィーの過去が暗い色調で、ヴェールを一枚ずつめくるように淡々と明らかにされ、ラストに向かって過去の選択と現代の選択が重なり合っていく。現在から過去へと、観客を静かに核心へ誘っていく脚色も良いと思う。
ホロコーストを題材とした映画・小説の多くは、非人間的で悲惨な現実を訴えてきた。本作はさらに踏み込んで、ホロコーストを生き延びた者の戦後も同時に語られる。ナチの残虐行為は、戦争が終わっても、生き延びた者に一生消えることのない傷を残した。ソフィーは絶対にできない選択を強要され、そしてナチに目をかけられたことで、奇跡的に生き延びた。彼女は犠牲者であるにも関わらず、自分を責め続け、生きていること自体にもの凄い罪悪感を感じている。生きている限り、苦しみ続けなければならず、ましてや、自分が幸せになるなんて絶対に考えられないのだろう。彼女が最後にネイサンを選んだのは分かる。二人とも将来への選択肢がない(あったとしても選べない)のだから。
映画のなかで、エミリ・ディキンソンの詩が2編、引用される。気になって、彼女の詩集を読んでみた。しかし、読んでいると、ディキンソンという詩人より、どうしてもソフィーが前へ前へと出てきてしまう…。原作者はディキンソンの詩からソフィーという人物像を作りあげたのではないかと思うほどだ。ディキンソンは、幸福、喜びより、苦しみ、悲しみこそが真実だと言う。センチメンタルな嘆きではなく、幸福の装いの下で、誰も知らない苦しみをひとり厳しく受け止めている詩。そして、死、審判の日、神を詠んだ詩がなんと多いことか。ソフィーがはじめてディキンソンを知るきっかけとなった「Because I could not stop for death 」(映画での引用はごく一部)、中盤でネイサンが、ラストでスティンゴが朗読する「Ample make this bed」。ソフィーが選択せざるを得なかった生き方を示唆しているようで、作品全体に重くのしかかる。解放後の彼女の人生は、死を待つための時間ではなかったか、と。
メリル・ストリープ、今更だけど、やっぱり飛び抜けた女優だと思う。演技はもちろんだけど、ホロコーストでは痛々しく痩せ細り、ポーランド訛りの英語まで操る。だんだんと英語が上達していく小技まで!。そして、いつの間にか風貌までポーランド人のように見えてくる…。本作でアカデミー主演女優賞を受賞。ネイサン役のケヴィン・クラインも鬼気迫る演技だが、メリル・ストリープの繊細な演技と並んでしまうと、ただキレまくって、テンション高いだけって感じがしてしまう。この二人に比べて凡庸なのが、スティンゴ役のピーター・マクニコル。でも、その平凡さにホッとする…。彼は、この後、映画での活躍はあまりなかったが、テレビドラマ「アリー my ラブ」で、風変わりな弁護士役をやっていた。これが、なかなか良い味を出していた。重い役より、チョット抜けた和み系役が得意技なのかも。

参考文献
亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集 アメリカ詩人選(3)』,岩波文庫
川名澄編訳『エミリ・ディキンソン詩集 わたしは誰でもない』,風媒社

亀井編では、自己への厳しさ、死との向き合った詩が多く取り上げられる。川名編訳は、選詩も訳も丸くて柔らかな感じ。前者の方が『ソフィーの選択』のイメージに近い。原詩の著作権は切れているので、参考までに紹介しておこう。「Ample make this bed」は、上記の詩集には載っていなかったため、http://www.poemhunter.com/poem/ample-make-this-bed/より引用した。

Because I could not stop for Death −

Because I could not stop for Death −
He kindly stopped for me −
The Carriage held but just Ourselves −
And Immortality.

We slowly drove −He knew no haste
And I had put away
My labor and my leisure too,
For His Civility −

We passed the School, where Children strove
At Recess − in the Ring −
We passed the Fields of Gazing Grain −
We passed the Setting Sun −

Or rather − He passed Us −
The Dews drew quivering and chill −
For only Gossamer, my Gown −
My Tippet − only Tulle −

We paused before a House that seemed
A Swelling of the Ground −
The Roof was scarcely visible −
The Cornice − in the Ground −

Since then − 'tis Centuries − and yet
Feels shorter than the Day
I first surmised the Horses' Heads
Were toward Eternity −



Ample make this bed.

Ample make this bed.
Make this bed with awe;
In it wait till judgment break
Excellent and fair.

Be its mattress straight,
Be its pillow round;
Let no sunrise' yellow noise
Interrupt this ground.

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「現金に体を張れ」  1956年  アメリカ

監督;スタンリー・キューブリック
出演;スターリング・ヘイドン,コリーン・グレイ,エライシャ・クック 他
2008年1月1日  DVD  自宅ごろ寝シアター

dvd 出所したばかりのジョニーは、婚約者との生活のため競馬場売上金強奪を企てる。金を必要としている競馬場職員、警官などを仲間に引き込み、綿密な計画を練る。計画は成功したかに見えたが…。タイトルの「現金」はゲンナマと読む。
キューブリック26才の時の監督作。脚本も自身によるもの。キューブリックと言えば、哲学的な深いテーマを、感傷を廃した冷徹な視点で撮る監督。どの作品も重い問題提起が含まれており、考えさせられる。しかし、本作は娯楽要素が強いフィルム・ノワール(*補足参照)。そのためキューブリック作品では評価が低いらしいが、犯罪映画として完成度が高く、面白い。テーマやストーリーが三文小説であっても、面白い映画にしてしまうところが、やっぱり"天才"キューブリックだなぁと感心する。
まず構成が凝っている。犯行計画は観客には明かされていない。犯行仲間ひとりひとりに役割分担があり、それぞれの人物・役割ごとにシーンが展開される。しかも、それらシーンを時系列に並べるのではなく、時間が戻ったり、重複しながら、少しずつ進んでいく。どのシーンにも、競馬場でのあるレースの実況中継が流れ、時間がそこで重なっていることが分かるようになっており、シーンが進むにつれて、さっきのの人は今頃、鍵を開けていて…とか、あの人が駐車場でスタンバイしてて…、観客自身が、それぞれの役割を思い出しながら、犯行計画の全貌を重層的に組み立てていくのである。冒頭で「この計画はジグソーパズルだ」というセリフがあるが、映画自体が立体ジグソーパズルのよう。計画がだんだん見えてくるにつれ、誰かがタイミングが少しズレただけでも、失敗に終わる緻密な計画であることが分かってきて、緊張感は高まる一方だ。
とりわけラストシーンに、非凡な才能を感じる。ネタバレになるので詳しく書けないのが残念だが、トランクの行方も、犯人も、偶然に左右されるギリギリ綱渡りの結末が、カットをパッパッパッと繋いでいくだけで表現される。カット一つ一つ思い出せるぐらい、画も素晴らしい。そして極めつけ。最後の「THE END」のカットにはしびれた。最高にクールな終わり方。
また初期作品として興味深い点もいくつかあった。一つは、人物の行動や心理を説明する第三者による上から目線のナレーション。敢えて言うなら、監督、あるいは犯行の全貌を知る神的存在の語り。本作では、悪女とダメ夫のやり取りなど、やや感傷的で、ベタなセリフ・演出もまだ見受けられる。しかし、この上から目線の冷ややかなナレーションが、登場人物たちを突き放し、全体的にはキューブリックらしい冷徹さを醸し出しているように思う。もう一つはカメラワーク。いくつもの部屋を横断したり、競馬場中継でのひたすら横へ横へと平行移動する長回しなど、彼独特のカメラワークが既に完成している。
気になる俳優が出演していた。エライシャ・クック、犯行仲間のひとりで一番気が弱い役だ。彼は、私のなかでは殺され役NO1。有名なのは『シェーン』だろう。ひとりで悪役に戦いを挑みに行き、殺されるあの農民である。泥水のなかに棒っきれように倒れる演技は凄まじい。本作でも見事な倒れっぷりであった。

補足 フィルム・ノワール
ハリウッドでは、1940〜50年代に暗〜く悲観的な犯罪映画が多数作られた。これら一連の作品群はフィルム・ノワールと呼ばれる。特徴として、①モノクロ、低予算B級映画、②難解なプロット、③登場人物は利己的で、モラルが欠落している、④ファムファタール(悪女)が登場する、⑤犯罪を企てるも破滅するというパターンが多いなどが挙げられる。フィルム・ノワールの代表的作品は、ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』(1941)、ビリー・ワイルダー『深夜の告白』(1944)、ハワード・ホークス『三つ数えろ』(1946)など。

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