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料理フレンドメル

アラフィフの皆さんが喜ぶとっておきネタを持って来ましたよ。
どうぞ!
 

榊原郁恵 河合奈保子
余裕ですよねー。じゃ、これはどうでしょう。
 

伊藤つかさ 野村義男
みなさん、ついてきてますかー?。
さあ、もっと難しいやつ、いっちゃいますよー。


ひかる一平! 竹本孝之!
イモ欽トリオ!!

 

これは1979年から86年頃まで学研から発刊されていた、ティーン向け料理雑誌
『料理フレンドメル』
『手芸フレンドピチ』と、交互に隔月で出ていました。もうね、表紙が80年代アイドル全盛期をあからさまに物語ってますね(笑)。

私も中学生の頃はこんな雑誌を愛読する女子力高い系でしたのよ。(同じ学研から出ていた『アニメディア』も愛読するオタクでもありましたが
ネットの古本屋で伊藤つかさの号を見つけた時、あっ。ここからだったよ、お菓子をつくりはじめたのは。と、思い出しまして。この雑誌を夢中になって見ていた中学生の私と、五十肩になっても(←まだ完全復活してない)、失敗に懲りもせず、パン捏ねたり、卵を泡立てる自分が一直線上にキレイに繋がった気がしたんですねー。で、自分が持っていた号をチビチビと買い集め、やっとこれだけ揃いました。

でも中学生の頃、この雑誌を見て何か作ったという記憶はないです。なぜなら、35年前、田舎の中学生には作る技術もなかったけど、それ以前に、道具や製菓材料を手に入れるのがとても難しく(今みたいに地元スーパーで製菓材料なんて売ってなかったもん)、今やお菓子作りの必須道具、ハンドミキサーすら憧れの高級品だったから。そんなこんなで、せいぜいカップケーキとか、アイスボックスクッキーとか、ゼリーとか、そんな超初歩的なやつを作りながら、いつかこんなケーキが作れるようになりたいなぁと、指をくわえて、毎日、この雑誌を穴があくほどながめていたわけです。

しかし…封印はとかれた。
その者、銀色のパナソニックハンドミキサーを持ちて、かまどの青白き炎の前に降り立つべし。失われし料理フレンドメルとの絆を結びに、ついに白昼夢を現実の甘露へと導かん。

せっかくなので、中二病風に表現してみました(笑)。

翻訳すると
大人になって、今なら道具も材料もあるし、中坊の頃よりは技術も多少あるので、あの頃は憧れで終わっちゃった『料理フレンドメル』のスイーツの数々を、ようし、親の敵のように作っちゃうぞ!。という企画をこれからやります。
という意味です。

ということで、この企画のため、当ブログカテゴリー「パン研究室」は「パンお菓子研究室」と名前を変えました。
昭和ガールのおやつを作りつつ、併せて『メル』のぶりっこ&メルヘンパワー全開の記事内容も紹介していきたいと思います。

ブログ更新するする詐欺常習犯の私のことですので、企画宣言してから実現は1年後とかあり得るので、気長に待っていて下さいませ。さぁて、何から行くかな。

2月の映画鑑賞メモ

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ『21グラム』2003年,アメリカ,DVD

ひき逃げした男(ベニチオ・デル・トロ)、ひき逃げされて夫と子どもを亡くした女(ナオミ・ワッツ)、亡くなった男の心臓を移植して命拾いした男(ショーン・ペン)。1つの心臓をめぐる3人の物語。
人は罪や愛や死から自由になれず、どうにもならないことがあるから辛いし、でも人生リセットは不可能で、「Life will go on」(劇中度々出てくるセリフ)だからもっと辛い…。3人が「どうにもならないこと」を背負えるようになるまでの自暴自棄、現実逃避、葛藤が、重ーいトーンで描かれていく。
私、こういう重いテーマも、冷ややかな感じの演出や映像も嫌いじゃないけど、なんかこの世界に入り込めなかったなぁ。まず時系列をバラバラにした演出意図がよく分からない。この映画で一番じっくり描かなきゃいけない人物の心理描写が細切れになってしまって感情移入しにくく、ただのもったいぶった展開に…。死んだ時に必ず21グラム減るというところから取られた意味深なタイトルも、気を引かせておいて、ラストに無理やり繋げただけで、いったい何が21グラムなんじゃー!と肩すかし。3人の俳優の演技に繋ぎ止められた感じ
後になって『バードマン』の監督だと知る。そういえば、観終わった時の、悪くないんだけど、なんかなー。という感じが全く一緒だった(笑)。いじりすぎるカット割りとか、必要以上にやけに重々しく、意味深な感じに演出するところとか、私、この監督はあんまり好きじゃないかもなぁ…(まだ2本しか見てないし、はっきり嫌いとは言い切れない段階)。

 

ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』1941年,アメリカ,DVD

19世紀末イギリスウェールズ地方、衰退しつつある炭鉱町。炭鉱で生計を立てているモーガン家の末っ子ヒューの目を通して描かれる家族の物語。
素晴らしい人間群像劇。家族愛、少年の成長、娘の結婚、労働者と資本家、鉱夫としての誇りや仕事の厳しさ、ウェール人気質や炭鉱町の人々…エピソード詰め込みすぎな感じもあるけど、人物の心情の描写が細やかで、1つのエピソードが1本の映画にできるぐらい印象深い。結末だけを言うなら、一家は離散し、だれ一人幸せにはならない。しかし、家族と過ごした日々、ヒューを可愛がってくれた人々、そして彼らとの別離までもが、ヒューの人生の宝物として、キラキラとした輝きを放ちながら、慈しむように描かれていく。モノクロ映画だけど、最後には、故郷の谷が本当に美しい緑に見えてくるよ
大学に入学してすぐに、地元の汚い映画館のレイトショーで『わが谷は緑なりき』と『荒野の決闘』を、そのすぐ後に県立図書館の無料上映会で『怒りの葡萄』を見た。この3本が私の初ジョン・フォード鑑賞だった。ジョン・フォードの王道からは外れていたかもしれないけど、ジョン・フォードなんておじいちゃんの見る映画でしょ?という傲慢な洟垂れ娘をフルボッコにするパワーは十分あったよ。。。『わが谷は緑なりき』約30年振りに見たけど、あの時と同じ、ラストシーンにはちょっと涙が滲んでしまった。
(おまけ)ヒュー少年役のロディ・マクドウォールは、約30年後、『猿の惑星』コーネリアスになっていました。面影があるようなないような…。

 

 

 

 

 

 

 

 


ルイ・マル『プリティ・ベイビー』,1978年,アメリカ,DVD

1917年ニューオーリンズ。娼館で生まれ育ったバイオレット12才(ブルック・シールズ)。母は再婚して娼館を出ていき、バイオレットは娼婦デビュー。写真家の青年ベロックと出会う。
12才くらいの女の子は、無邪気さも残っていて、我が儘で、まだまだ子どもなんだけど、大人になりたがって「女」として振る舞ったり、時には母性も垣間見せたり、くるくると表情を変え魅力を振りまく。巨匠ルイ・マルが、そんな年頃の美少女ブルック・シールズを着せ替え人形して、ただただエロ可愛く撮りたかっただけの映画に見えますが…。橋本環奈が千年に1人の美少女なら、45億年に1人の美少女ブルック・シールズのいろんな魅力をフィルムに残したという以外に、この映画の価値が見いだせない(それだけで充分か?)。映画に出てきた写真家ベロックのように、ルイ・マル大先生も彼女の美しさに理性を失ってしまったのでしょう。今はもう絶対に撮れない映画。
この後、ブルックシールズはセクシーアイドル的なティーン女優になるわけだけど、この路線は失敗だったんじゃないかな。”美少女が脱ぐ”ことをを売りにした作品ばかりで、彼女自身が大人気だったからヒットはしてるけど、女優としてステップアップするような良い作品には恵まれなかった。ルイ・マルは彼女の女優人生もダメにしちゃったような気がするよ。

1月の映画鑑賞メモ

五十肩を理由に家事をさぼっても、スキーはさぼらなかったshimiです、久しぶりっ!。

片淵須直『この世界の片隅に』,2016年,日本,TOHOシネマ

原作はマンガ、こうの史代『この世界の片隅に』(アクションコミック、2008年)。戦争と隣り合わせの日常を当時の人々の視点で描く。絵も美しい、主人公の声をあてたのんちゃんも良い。原作を知らずに、この映画を見たら良いと思ったかもしれない。
だがしかし。原作を愛読してきた私には残念だった。原作は、主人公すずさんの目から見た戦時下呉市の日常であると同時に、すずさんの恋愛物語でもあるのだけど、恋愛部分が大胆に削除されていたから。女性が受動的だった時代。元々おっとりした性格で、親の言われるままに、見ず知らずの青年に嫁いじゃったすずさん。そういう環境にあっても、すずさんなりに、ぼんやりとした恋心を発見して戸惑ったり、ひとり心にしまっておくしかなくても、旦那さんのなかにいる別の女性に思いを馳せたり、嫉妬したり、夫婦関係に疑問を持ったり。流される生き方しかできないすずさんにも、その流れを小っちゃくかき乱すように、ちくっと芽生えてくる恋の悲しみが切ない。例え戦争中でも、男尊女卑でも、若い男女に恋心がないわけがない。原作では、すずさんを通して、この時代の女性の恋心ってこうだったんだろうなぁとリアルに感じさせる。
この映画は戦時下の日常生活、呉や広島の街並み、空襲や機銃掃射のシーンなんかをリアルに表現したってところが高く評価されているけれど、私が思うに、史実として分かっている事を映画やマンガでリアルに表現するのは当たり前。そうではなくて、この時代の若い女性がどんな恋心を持っていったかなんて、だれも想像もしないしできない、資料も証言もないかもしれない、でも、この漫画はそこを、リアリティを感じさせつつ、しかも叙情的に描いている。私が原作で魅力に感じていたところが、映画では抜けちゃってて、何だかなーな気持ちになってしまったよ。


フランク・ペリー『泳ぐ人』1968年,アメリカ,DVD

バート・ランカスター主演。ネディは友人の家のプールを泳ぎ継いで、自宅へ帰ることを思いつく。
ネディ(バート・ランカスター)が次々と他人の家のプールを海パン一丁で泳いでいくだけなんだけど、途中ではっと気が付く…。この男は人生を泳いでいる、私たちは傲慢なバカ男の転落人生を見せられているんだと。一番最初のプールでは、ネッドは夏の日差しを浴びて、大勢の友人たちにヒューヒューされながら颯爽と泳ぎだす。しかし、プールを移動するごとに、プールの持ち主が語る彼の人物像はだんだん怪しくなっていき、季節も恐ろしいスピードで移ろって、いつの間にか厚い雲が太陽を隠し、彼は寒さに震えて屈辱と失望のなかをヨレヨレになって泳いでいる。彼の栄華は幻で、現実は厳しく、終いには彼自身も幻なのか?と思えてくる…。(主人公は自分のことを何ひとつ語らず、彼に関わった人の語りによって人物像が暴かれ、最後は実は孤独だった…という流れは『市民ケーン』を思い起こさせる。
こんな単純な比喩で、一人の人間の人生をここまで見せきった映画って他に見たことない。カット割りとか荒削りなところもあるし、日本ではほとんど知られていないが、名作といっていいと思う。ヒット作にたくさん出演しているバート・ランカスターが、自身の出演作ではこれが一番気に入っているというのも、分かるような気がするなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョン・フォード『リバティ・バランスを射った男』,1962年,アメリカ

西部劇の傑作。完璧。物語が面白い、俳優が良い、カットに無駄がない、タイトルも良いっ。強くて、粗野だけど、実は優しい男ジョン・ウェイン、インテリジェントで正義まっしぐら、信念を曲げないジェームズ・スチュアート。二人の間には美女がいて、村人達にやりたい放題の極悪人リー・マーヴィン。なーんだ、よくある西部劇じゃんと思うなかれ。西部劇の神様ジョン・フォードは決闘だけじゃないから。正義と民主主義を問いかけ、西部開拓の終わりを一抹の寂しさを含ませて描きつつ、しっかり恋の行方にも気をもませ、登場人物それぞれの人生の機微までそっと差し出してくる。人間ドラマとしても素晴らしいんです。
特にジョン・ウェインについては、直接は優しいところなんて何一つ描写していないけど、セリフの裏側やシーンの間から彼の優しさや切なさを観客に想像させ、じわっとさせれてしまう。種明かしのワンカットにはシビれたよ。

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